「イエスは、再びガリラヤのカナに行かれた。そこは、前にイエスが水をぶどう酒に変えられた所である。
さて、カファルナウムに王の役人がいて、その息子が病気であった。
この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞き、イエスのもとに行き、カファルナウムまで下って来て息子をいやしてくださるように頼んだ。息子が死にかかっていたからである。
イエスは役人に、『あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない』と言われた。
役人は、『主よ、子供が死なないうちに、おいでください』と言った。」
(ヨハネによる福音書 4:46-49)
この王の役人は、おそらくヘロデ・アンティパスに仕えていた政府の高官だったと考えられます。
しかし彼は、自らの地位や権力を脇に置き、イエスに「主よ」と呼びかけ、助けを求めました。
カファルナウムからカナまでの30kmの道のりを歩き、ただひたすらに息子の癒しを求めたのです。
✅ 「主よ、息子が死なないうちに!」
彼の切実な願いには、時間がないという焦りがにじんでいます。
「イエスが直接来てくださらなければ、息子は助からない」と考えていました。
📌 私たちは、神の働きに「自分の考えた方法」を期待しすぎていないか?
📌 「こうしてくれなければならない」と、神に条件をつけてはならない。